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【寄稿】地方会廃止について

今回、会報制作のネタ集めをする中で、やはり清陵同窓生のみなさんの大きな関心事であろう、ということで打診し、用意していただきました。

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『まえがき』

 清陵高校の地方会が廃止となり、早9年が経とうとしています。

 私を始め、良きにつけ悪しきにつけ、高校生活の思い出に「地方会」を挙げる同窓生も少なくないと思います。

 今回、地方会廃止に関わった当時の学友会長:花岡大輔君(116回生)に依頼し、その経緯とご本人の思いをまとめていただきました。当時の経緯と判断から私たちは何を思うのか、何かを感じるべきなのか、様々な思い出を振り返る機会に、時代を考えるきっかけになれば幸いと存じます。

 

 

『地方会廃止の是非』  

 花岡 大輔 (116回生)

 

 私は、地方会廃止の年に学友会長をやらせていただきましたが、地方会は廃止すべきだったのか否か、未だに答えは分かりません。当時どのような流れで地方会が廃止されていったのかを、皆様にお伝えできればと思います。

 

 事の発端は、地方会歓迎会の恒例であった、暗い部屋で渇を入れるというものに参加した新入生が、恐怖により次の日から学校に来なくなってしまった、ということから始まりました。

 「不登校になる心の弱いやつがいけない」など、潰した原因になった子を責め立てる声ももちろんありました。が、私は当時の地方会の長の管理不足に問題があったのではないか、と思っています。

 叱咤激励の後に交流を深め、先輩達の厳しさと暖かさを知るには良いイベントだと私も思っていましたが、年々恒例化していくにつれて、罵声も、終わった後の声かけも定型化していったのが、ただただいじめられたと新入生が考えてしまった原因ではないか、と私は考えています。

 そうしたことから、地方会廃止に向かって動き始めたのですが、当時の私の生活態度に問題があったのも含め、かなりの批判を浴びました。

 が、批判の内容はどれも私に対するネガティブキャンペーンが多く、地方会存続に対する声というのはあまり記憶に残っておらず、ただ、地方会というイベントをやりたい派がいた、位に私は記憶しています。

 私の好きな言葉に、近江商人の経営哲学である「三方よし」というのがあります。

 「買い手によし、売り手によし、世間によし」とする商売の考え方なのですが、当時を振り返ると、この考え方には全く反しており、やりたい側が楽しいだけで、世間と後輩の事を全く考えていないじゃないか、と言わざるを得ません。

 

 以上の背景から、地方会は廃止すべきという判断をし、続いてきた伝統に終止符を打たせて頂きました。

 ただ、当時の学校長がおっしゃられた「セクハラ、パワハラは確かにいけないが、それで清陵が潰れるのかね?」という言葉に対する答えは未だに見つかっておりません。

 先輩方に私の稚拙な文をお見せするのは少々ためらいましたが、少しでも当時の様子をお伝え出来ればと思い、ここで筆を取らせて頂きました。お読みいただきありがとうございました。

『あとがき』

 当時、我が家の長男(117回生)は2学年に在籍しておりました。

 前年の新入生歓迎会(確か金曜日)では、例によって「何だか解らないけど、一応カレー」等を食べて帰宅した時には、何故か全身にジンマシン状の赤い斑点だらけでした。本人は「痛くも痒くもない」というので、とりあえずシャワー浴びて寝ろ、と言って寝かせました。

 月曜日の朝になっても赤い斑点は全身に残っていましたが、本人が何ともないと言うので「先輩方に『こんな感じになっちゃいました』と言ってこい」と、送り出したことを覚えています。

 長男が2学年に進級し「新入生を迎える側」となったとき、彼に以下の話をしました。

・先輩=3年生=にお願いして「新入生全員の食物アレルギー調査をしてもらう」こと

・アレルギーを持つ新入生には、アレルゲンを含む食材を絶対に食べさせないこと

・もし先輩方がアレルギー調査をしなかった場合には、新入生歓迎会に出席しないこと

 当時は既に(我々の時代とは異なり)、食物アレルギーは単なる好き嫌いとは違い、命に係わることであることを説明し、前年に自分が経験したことを思い出しなさい、と諭したことを覚えています。

 また親としては、自分の子どもが「加害者側」に居ることは何としても避けたい、との思いもありました。

結局、花岡君の記述通りの出来事が起こったために以降の地方会活動は直ちに休止となり、長男は「新入生を迎える側」にはなれませんでした。その時我が家では「お前、やられっぱなしじゃん」などと長男をからかったりしていましたが、気付けば秋には地方会の解散が決定したと聞き、私自身、何とも言えない気持ちになりました。

 入学前からの校歌指導、入学後は対面式・歓迎会に試胆会、狂いの舞(私、黎明会)ではステージまで迫りくる先輩方が本当に怖かったこと、清陵祭の前には様々な歌唱指導(やや音程がお外れ気味の先輩に教えていただく苦痛)、3年になって新入生歓迎会の準備で、ひたすら唐辛子を刻んで指先が真っ赤に晴れ上がった友人のこと等々、思い出は様々ですが、55歳・21世紀・令和の時代から当時を眺めれば、やはり複雑な気持ちになります。

 つい長々と『あとがき』を綴って参りましたが、沢山の同窓生の皆さまが地方会への思いを馳せてくださることを願っています。

 

 兎にも角にも、ともすれば苦々しい思い出を掘り起こすこともいとわず、堂々と執筆くださった花岡君に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

                            『まえがき』『あとがき』:当番学年 88回生 両角眞幸

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