諏訪清陵高等学校 同窓会
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諏訪清陵高等学校
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コロナ禍のNYにて音楽家として
木川 貴幸
ピアニスト takakigawa.com (アメリカ:ニューヨーク)
この春で、諏訪清陵の校門を出てから36年が経ちました。その年月の大半をニューヨークに住み、ピアニストとして活動しています。新型コロナ感染症がニューヨークを襲ったのは昨年の3月。ほどなくこの街は1日の新規感染者数が6千人を超えるほどのエピセンターとなり、必要最低限以外の外出禁止、事実上のロックダウン(都市封鎖)となりました。ほぼ全ての社会活動や経済活動が、突然に余儀なく中断を強いられることになったのです。
このコロナ禍による生活環境の変化は、音楽家としてニューヨークで生活している人々にも非常に大きな影響を与えています。ロックダウンによりコンサートホールを始めとして全ての演奏会場は閉鎖、よってコンサートや音楽関係イベントは全て停止。多くの音楽関係者が職を失い、音楽業界が一年以上に渡って未曾有の危機に見舞われています。自分も、将来の公演予定がほぼ全てキャンセル、または延期となりました。
このような状況で強く感じたことは、この街で生きる音楽家の持つ、レジリエンスやヴァイタリティという言葉で表される気力の強さ。それはまさに底力でした。コンサート活動が続けられなくなると、多くの音楽家は迅速に、音楽家として生き続けるための行動を起こしました。自己主催でプライベートコンサートを行う、世界中の音楽家と情報、資金を提供しあう、IT企業と一緒に、より音楽ライブ配信に適したプラットフォームを協力して作る、各種財団に掛け合って補助金・助成金を出してもらう。銀行に直接掛け合って緊急融資をしてもらう、等々。音楽家が音楽の灯火を絶やさないために考え、すぐさま実行した例は枚挙に遑がありません。逆境であっても、むしろ逆境であればこそ、即決断して行動する気力。変化を受け入れ、その時に置かれた環境の中でベストを尽くそうする意思。そんな気構えを持った音楽家が、ここニューヨークには世界中から集まっており、日頃より刺激を受けています。また、音楽家だけでなく、全ての分野・業界において、この街でコロナ禍の中でも活躍しているのはそのような気概を持った人達だとも感じています。
もしかすると、このようなニューヨークが抱く不撓不屈のスピリットは、自主性、自律性、進取性などを重んじる清陵の校是と、なにかしら相通じるところがあるのかもしれません。そう考えると、彷徨の時期に、あの自由な校風の中で、自ら考えて主体的に行動することの大切さを示してくれた母校には感謝の念に堪えません。コロナ禍で世界の様相は変わりましたが、今後とも「理想の花の咲かむまで」音楽家として歩み続けていきたいと思っています。
ニューヨークのロックダウンが段階的に解除され始めた昨夏、街の中心地タイムズスクエアの巨大スクリーンには「WELCOME BACK NYC(お帰りなさい、ニューヨーク)」というフレーズが映し出された。
U.S.A イリノイ州 シカゴより
中村(岡) 真由美
フリーライター(アメリカ:シカゴ)
現在イリノイ州シカゴ在住の中村(岡)真由美です。シカゴの冬は零下の日が続き、一度降った雪は根雪となります。緑と川が多いところは故郷の茅野と似ているかも知れません。
アメリカの新型コロナ感染状況は日本よりも深刻です。イリノイ州だけ見ても、10月頃までは1日の新規感染者数が2,000〜3,000人程度で推移していましたが、11月から増加に転じ、11月半ばの15,000人をピークに、1月8日現在も9,000人を超えています。繰り返しますが、これはイリノイ州だけの数字です。
春から夏にかけては一時期飲食店内での飲食が、人数制限を設けた上で認められていましたが、秋からは再び屋外のみとなっており、事実上外食は困難な状況です。さすがにこの気温では、外で食べるというのは厳しいからです。
自治体によっては住民が声を上げ、地元の飲食店を支援する働きかけが行われています。また主要クレジットカードのアメリカン・エクスプレスは「ショップ・スモール」を掲げ、中小事業者の飲食店は小売店において同カードで決済した場合、5ドルを返金するというキャンペーンを実施、我が家も何度か利用しました。
2020年はコロナの流行だけでなく、アメリカに根強く残る人種差別が浮き彫りになった年でもありました。ジョージ・フロイドさん死亡事件に端を発する差別への抗議運動は、米国だけでなく全世界へ広がっています。アメリカでは私達アジア人も「差別される側」であり、実際「コロナをアメリカへ持ち込んだ」として、心無い言葉を浴びせられた知人がいます(日本・韓国・中国を区別できないアメリカ人は少なくない)。トランプ大統領が散々中国を非難したのもこうした差別行動に拍車をかけていると思います。
私自身はフリーランスの翻訳・ライターの仕事を自宅で受注しているため、幸い仕事面では、コロナ禍の影響はほとんど受けていません。しかし毎年1月に取材している世界最大の家電展示会「CES」(ラスベガスで開催)は、今年初めてオンライン開催となってしまいました。
今年もささやかながらお節を作ろうと、年末に日系スーパーへ買い出しに行ったところ、多様な人種、年齢の人々が買い物をしていて、何だかホッとしました。ちなみに黒豆は我ながらかなりうまく煮えました。
南米チリの現状
今井 健彦
商社(チリ)
南米チリからご挨拶申し上げます。 地球儀上で丁度日本の真裏にあります。諏訪へは自宅を出発してから丸2日、ひたすら我慢しないと上諏訪駅の足湯に浸かることができません。
チリは人口1800万人の小国ですが、世界最大の銅・リチウム産出国であり、スマフォの原材料にはチリ産銅・リチウムが使われていると思います。近年、日本のチリ産ワイン輸入量はフランス産を抜いてトップに躍り出ました。チリカベ(チリ産カベルネソービオン種ワイン)は、コスパがよく、だれでも一度は飲まれたことがあると思います。コスパがよいの裏返しは、マーケティングに失敗したことも意味し、これは悩ましいところです。
チリはOECDの加盟国なので先進国ですが、「富の集中=不平等」という大きな社会問題を抱え、2019年10月下旬に大暴動が発生、地下鉄駅他が焼き討ちに遭い、全土がカオスになりました。夏季休暇で小康状態になりましたが、3月初旬に欧州からコロナを持ち込まれ、あっという間に全土に流行しました。昨年末のデータによると、全国民の3%がコロナに罹患、死者数は0.1%。これを日本の人口1億2千万人に置き換えると衝撃的な数字となります。
チリ政府は3月18日に、非常事態宣言を発布 (State of Catastrophe) 、全土で夜間外出禁止令が敷かれ、都市毎に日中の外出禁止措置を施しました。長女の学校は全てオンラインとなり、勤務先は原則テレワーク。昨年後半に多少改善したので、政府は種々措置を緩めましたがこれが不調、サンチャゴの年末年始は外出禁止措置が講じられ、折角の休日が自宅籠城となりました。 チリにおける今後の状況は予断を許さず、共存せざるを得ないであろうというのが実直な思いです。 唯一の明るい話題は、ワクチンの社会実装です。
日々の仕事において、オンラインがde factoとなっても、人流、物流が途絶えると、経済が回らないと愚考します。今は忍に忍を重ね、温泉、わかざき、うなぎ、そば、故郷の名物を堪能できる日を楽しみにしております。(野沢菜もいいなあ)
フランス パリ便り
代田 真紀子
(フランス パリ)
娘はフランスパリの音楽院に留学しています。
昨年3月にフランスで感染が広がった時、当時フランスではマスクの習慣もなく、地下鉄の車内で咳をする人がいても口に手を当てることもしない状況の中、アジア人がマスクをしていると新型コロナ感染をしていると思われるのでマスクもできず、さらにロックダウンがあるのではないか? いつどのように行われるか? という不安が募り急遽帰国しました。
帰国の飛行機はそのような日本人がたくさんいたようで満席だったようです。夏にはまたパリでの生活に戻りましたが、今も18時以降の外出は禁止です。近くのマルシェや日本食材を売っている店は開いているので生活するには困っていないようですが、学校がまた閉鎖されると音楽の勉強をしている為オンラインでは音が正確に聴こえないのでとても困ると言っています。外国生活で一番不安なのは、確かな情報を得られているか、だと思います。日本大使館からのメールもありますが、日本人の友人と情報交換して助け合っていることも多いようです。
目指すものがあるのでフランスの滞在はまだ続きますが、得られる情報から安全に健康に暮らせるように自分で判断しながら、夢に向かってほしいと思います。
With コロナ、Afetrコロナ in 中国深圳
~新型コロナの影響、新しい生活様式と今後の展望について~
藤森 毅史
製造業(中国 深圳)
最初に、コロナ禍の日本にあって、同窓会学年幹事としてご苦労頂いている同期諸君に心からお礼を申しあげたい。加えて、海外赴任していることで何も協力出来ていないことに対し、心からお詫びを申し上げる。その意味もあって、今回の同窓会誌への寄稿の依頼を受けた際には、「本当に自分で良いのか」という思いも強くあったが、協力させて頂くことにした。
中国での赴任生活
昨年の8月に深圳に赴任して最初に驚かされたのは、深圳が安全で便利な街に変貌していたことである。実は20年前に香港に赴任をしており、その際に現在の深圳工場の建設プロジェクトにITインフラの責任者として参画した。したがって、縁あって20年振りに深圳に戻って来たことになる。
当時の深圳は非常に危険な街であり、羅湖(ローフー)の駅前は、ニューヨークの5番街を抜いて世界で一番危険とされていた。また、蛇口(シーコウ)周辺も夜の独り歩きは危険とされていた。当然、家族帯同の赴任は許されておらず、単身赴任か家族を香港に置いての二重赴任が当たり前であった。
最近の深圳は、酔って道端で寝ていても大丈夫な程度まで安全な街に変わっている。また、20年前であれば、自動車が交差点に我先に、とばかり侵入して身動きが取れない状況が其処かしこで見られたものであるが、現在では皆が信号や交通ルールを守り、歩行者が横断歩道の前に立っていれば自動車が止まってくれる程である。
ここまで劇的に変貌を遂げたことの理由は3つあると思われる。先ず第1に経済発展により皆が豊かになったこと。要するにお金の為に悪事に手を染める必要が無い程度まで食える様になったということだ。第2に携帯アプリの普及である。有名な微信(Wechat)ペイや支付宝(アリペイ)など電子マネーの普及により個人のお金の流れと伴に、その気になれば個人の行動を政府が完全に把握できる。第3に徹底した監視カメラの配備である。先に述べた交差点での振る舞いの変化も、信号無視は100%機械的に検出され、違反切符が電子的に送られてくるという背景があるのだ。
中国の新型コロナの状況
さて、この辺で話を新型コロナ感染症に移したい。深圳に限らず、中国全体で徹底したPCR検査により局所的な感染で封じ込めが出来ている。中国全土が自治体レベル(省よりも細かな市単位相当)に区分され、そこでの感染者数や高中低といったリスクレベルを政府が公開している。このリスク情報に基づき中高レベルへの移動が制限されると共に、中高レベルから移動して来た者へは強制的なPCR検査が実施されている。
このことから経済活動も順調である。昨年の2月のロックダウン以降、深圳では大規模な感染拡大は発生しておらず、弊社工場が操業停止になったことはない。逆に他国が新型コロナで生産影響を受けた穴埋めとして、本来他国で生産すべき製品製造を一部引き入れてさえいる。
生活への影響とどの様に受け止め、対処しているか
今年の旧正月の連休は政府からの「お願い」があり異例の様相を呈した。この依頼とは、「皆さん、故郷に帰らず出来るだけ深圳で過ごして下さい」というものである。
中国政府の構造は、中央政府の下に各省の政府、その下に市の政府、更に区の政府という階層構造になっている。小生の場合、勤務地も居住区も深圳市南山区に位置する為、依頼は主に南山区政府、更にその上の深圳市政府から降りてくることになる。
日本人が中国政府からの依頼と聴くと、何かしら高圧的な内容ではないかと想像しがちであるが、本当に依頼の体を装って出て来るようだ。しかし、これに背いた場合は非常に面倒臭いことになる仕組みになっており、現地メンバー曰く「意地悪をされる」そうである。したがって現地メンバーは、政府からの依頼要請に対しては従順であり、当然ながら異論反論などは微塵も起きない。
ここで特筆すべきは、この政府からの依頼が具体的かつ詳細であることである。例えば昨年の2月に発生した深圳でのロックダウンに際して、工場再開の条件やそれに必要な施策が事細かく指示され、また、工場側はそれを確実に履行させられたと聴いている。
政府からの依頼は、時として非常に老獪である。例えば、今年の旧正月の帰省に関しては、政府から小・中学校に指示が出され、生徒は連休期間中、何日か登校することが求められる。言うまでも無く、登校しなければ生徒の成績に影響することになる為、親は帰省を諦め、子供と共に深圳に残らざるを得ない状況になる訳である。
この様な中国の状況は、「国民の高い民度に依存している日本の新型コロナ対策」の真逆を行くものである。しかしながら現地メンバーは、そのことを平然と受入れ、幸せに暮らしている様に見える。要するに、「私は今、豊かで幸せです」「政府の言うことさえ聴いていれば、豊かで健康に暮らせる」という心の声が聴こえてくる様である。
最後に
中国政府のやり方は、殊、新型コロナ対策としては功を奏していると言える。政府の強い力で国民を管理し、結果的に新型コロナを抑え込んでいるからである。勿論、小生もその危険な側面を知らない訳ではないし、日本でも同じやり方を等と申し上げる積りは毛頭ない。
しかしながら、新型コロナ発生から一年以上が経過し、また、中国の現状を見るにつけWithコロナという考え方は間違っていたのでは無いかと思わされる。経済活動にしても一度コロナを局所的なものに抑え込まなければ、無理ではないだろうか。専門的な内容は専門家に委ねたいが、要するにWithコロナではなく、Zeroコロナが正しい気がしてならない。
インドネシア 新型コロナの影響
青木 誠
(インドネシア)
何の因果か、インドネシアでの生活が13年目を迎えました。熱帯地域のため日本のように四季がないため 季節感がなくなってしまい、節目節目の想いなどを感じることもできずに過ごしてきました。
インドネシアは世界最多の13,000を超える島々で構成される島しょ国です。人口も世界4位と巨大な2億7千万人に上り、今なお増え続けております。民族の大半はマレー系ですが、地方の島々などでは300以上の多民族国家であります。公用語もインドネシア語ですが、実際に各地で異なる言語が多数使われております。
その一方で、宗教はイスラム教徒が9割弱にもなり、世界最大のイスラム教徒人口の国です。ただ、中東などと比較しすますと、厳格なイスラム教徒かだとは言い難い印象です(決してイスラム批判では御座いません)。例えば、女性が頭や身体を覆う布をヒジャブと言いますが、中東では黒ずくめで覆われている様なイメージですが、インドネシアでは主に頭のみを覆うことが多く、また、その布自体がファッション化して色物や柄物になっておりまして、本来の意味を見失っていると感じます。(女性蔑視でも御座いません)
インドネシアでも、昨年からの新型コロナウイルス感染症により、他の国々と同様に“大規模な社会的規制”と称して対策がとられております。主には企業や商店の営業時間や出社人数の制限、また公共の場でのマスク着用、そして国内外への移動の規制などで、日本などと同様となっております。最近では中国製のワクチン接種が始まりましたが、どの程度の抑制になるか楽観はできません。もともとインドネシアには健康保険制度がなく(現在は制度自体はできています)、病気でも重症にならなければ、医者に行くことがなく、検診に行った時にはすでに手遅れになっていても仕方がないというのが一般的な考え方でもあります。
とりとめのない話になりましたが、人口が多い上に若年層の割合が高い国ですので、これから成長の可能性がある国と言うことに間違いはありませんので、国を正しく導く指導者が育つことを願います。
これまで、母校の活動には全く協力することができず、申し訳なく感じておりました。また、年を重ねる度に諏訪から離れていっておりますが、いつかは戻りたいと感じております。皆様も どうかお元気でお過ごしください。
Withコロナ Afterコロナ in インドネシア
青木 徹夫
製造業(インドネシア)
不織布マスクにフェースシールドを装着し、フロアを職場ごと壁で仕切って更に各々の机をビニールシート覆い、尚且つ着席は一つおきで、50%が在宅業務。打ち合わせは、Webもしくは会議室ではビニールシート越しでの会話。日に4度体温と健康状態をシステム入力、喫煙所も食堂も一人ずつ仕切られて会話は禁止などなど。こんな窮屈な会社生活も1年が経とうとしています。
この国では資材調達の仕事をしているので、最初の頃は対岸の火事という認識でしたが、中国のフォアダーがコロナの影響で国内物流を止めることを聞き「部品が入らないじゃないか、これは長引くな」との心配が的中し、2月から輸入品の確保で大忙し。3月に初めての感染者発覚、マレーシアに行った際、日本人から感染とのニュースが流れて国の雰囲気が一気に暗くなりました。その後、1日当たりの感染者数は増え続け、最高約1万5千人、最近やっと日当たり5千人代に戻ってきています。
どんどん身近に迫ってきている空気の中、重要事項は外部でも対面のコミュニケーションが必要な業務です。昨年8月末に、部下と3人で予防措置を講じながら打ち合わせしましたが、相手の会社の女性が陽性反応との連絡を受け、3人とも濃厚接触者として自宅待機とPCR検査の命令。職場で初の濃厚接触者ということで最初は「自分が?」と非常に焦りましたが、幸い陰性でした。ただ、同席させた2人は陽性反応。これには塞ぎました。上司の支持の結果、自身は問題なし、彼らは陽性。当然周囲からは冷たい目で見られる。「家族に感染させたら?重篤になったら?俺はなんてことをしたんだ、、。」とかなり自分を責めました。幸い大事にいたらず出社開始。みんな元気に仕事しています。現在は「巣ごもり需要」の影響で、かなり忙しい日々を送っています。
コロナは、我々の仕事のやり方、生活様式を変えましが、New Normalは、新しい需要を生んでいます。経済活動は止まりません。過酷な労働環境を恨むこともありますが、暮らしていくには稼ぐしか方法はないのです。そんな中、先の経験を例に苦しい中でも結果を出して行くにあたり、お互いを思いやる気持ち・絆が深くなった気がします。共に働く仲間としてリスペクトする気持ちが強くなりました。
厳しい条件に閉口することはありますが、仲間と話すときは笑顔と感謝の気持ちを全面に出して働いています。海外生活は3カ国目ですが、今回も忘れ難く、離れがたい赴任となりそうです。